1.書籍情報
谷崎潤一郎著、パイインターナショナル、2018年1月発行、256ページ
2.購入した経緯
アマゾンからのおすすめに出てきて、面白そうと思い購入。
3.読書メモ
光と影にまつわる、日本人の美意識についての西洋との比較論。購入したのはフォトブック版で、内容を踏まえた写真が載せられており、思わず見入ってしまうものばかりであった。また、独特の文体も読んでいて心地良く、評判通りの名著であった。以下、特に惹かれた箇所をメモ。
■「つまり金蒔絵は明るいところで一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しずつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、言い知れぬ余情を催すのである。」(87ページ)
■「日本の料理は食うものでなくて見るものだと云われるが、こう云う場合、私は見るものである以上に瞑想するものであると云おう。(中略)かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を賛美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。」(100ページ)
■「左様にわれわれが住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。もちろん西洋の家屋にも屋根がない訳ではないが、それは日光を遮蔽するよりも雨露をしのぐための方が主であって、蔭はなるべく作らないようにし、少しでも多く内部を明りに曝すようにしていることは、外形を見ても頷かれる。」(114ページ)
■「が、美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生まれているので、それ以外に何もない。」(115ページ)
■「われわれは、それでなくても太陽の光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透かしてほの明るく忍び込むようにする。われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。われわれは、この力のない、わびしい、果敢ない光線が、しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。(中略)われ等は何処までも、見るからにおぼつかなげな外光が、黄昏色の壁の面に取り着いて辛くも余命を保っている、あの繊細な明るさを楽しむ。我等に取ってはこの壁の上の明るさ或はほのぐらさが何物の装飾にも優るのであり、しみじみと見飽きがしないのである。」(116ページ)
■「われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自ずから生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。」(131ページ)
■「諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。(中略)それで私には昔の人が黄金を仏の像に塗ったり、貴人の起居する部屋の四壁へ張ったりした意味が、始めて頷けるのである。」(144ページ)
■「だが、いったいこう云う風に暗がりの中に美を求める傾向が、東洋人にのみ強いのは何故であろうか。(中略)案ずるにわれわれ東洋人は己れの置かれた境遇の中に満足を求め、現状に甘んじようとする風があるので、暗いと云うことに不平を感ぜず、それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、却ってその闇に沈潜し、その中に自らなる美を発見する。」(194ページ)
■「それはただ光と闇が醸し出す悪戯であって、その場限りのものかも知れない。だがわれわれはそれでいい。それ以上を望むには及ばぬ。」(208ページ)
4.購入前の自分に薦めたい度
★★★★★(5段階中5)