1.書籍情報
山口周著、光文社新書、2017年7月発行、257ページ
2.購入した経緯
評判を耳にして購入。
3.読書メモ
新しい視点を提示してくれる素晴らしい内容。山口さんの別の著作も読んでみたい。以下の通り、メモ多数。
■「同校(オックスフォード)の看板学部は「PPE=哲学・政治・経済学科」です。 日本の大学システムに慣れ親しんだ人からすると、なぜに「哲学と政治と経済」が同じ学部で学ばれるのか、と奇異に思われるかもしれませんが、彼らの考え方はシンプルで、政治と経済を担うエリートこそ、哲学を教養の基礎として身につけなければならない、ということです。」(46ページ)
■「ミンツバーグによれば、経営というものは「アート」と「サイエンス」と「クラフト」の混ざり合ったものになります。「アート」は、組織の創造性を後押しし、社会の展望を直感し、ステークホルダーをワクワクさせるようなビジョンを生み出します。「サイエンス」は、体系的な分析や評価を通じて、「アート」が生み出した予想やビジョンに、現実的な裏付けを与えます。そして「クラフト」は、地に足のついた経験や知識を元に、「アート」が生み出したビジョンを現実化するための実行力を生み出していきます。」(53ページ)
■「「アート」と「サイエンス」には「アカウンタビリティの格差」が生じますから、両者を同じ土俵で戦わせれば、必ず「アート」が敗れ、「サイエンス」が勝つことになります。そしてまさに、いまの日本企業の多くで起きているのはこの状況です。 この問題を解決する方法は一つしかありません。トップに「アート」を据え、左右の両翼を「サイエンス」と「クラフト」で固めて、パワーバランスを均衡させるということです。 よく企業の経営をPDCAサイクルと言いますが、言い換えればPlanを「アート型人材が描き、Doをクラフト型人材が行い、Checkをサイエンス型人材が行うというのが、一つのモデルになると思います。」(66ページ)
■「私は「デザイン」と「経営」には、本質的な共通点があると思っています。(中略)「エッセンスをすくいとって、後は切り捨てる」ということです。そのエッセンスを視覚的に表現すればデザインになり、そのエッセンスを文章で表現すればコピーになり、そのエッセンスを経営の文脈で表現すればビジョンや戦略ということになります。(中略)この「本質の共通性」をちゃんと把握するためには、経営という営みの本質が「選択と捨象」であることを、しっかりと理解することが必要です。 よく「選択と集中」ということが言われますが、これは同語反復=トートロジーです。選択したものに集中するのは当たり前のことでわざわざ言うまでもない。大事なのは「選択と捨象」、つまり「選択」したら、後は「捨てる」ということです。」(78〜79ページ)
■「すでにその時点(1970年)で、フランスをはじめとした先進諸国においては、モノの消費というのは機能的便益を手に入れるための交換という側面が弱くなり、自己実現のための記号の獲得という側面が強くなっていったわけです(「消費の記号化」)。(中略)私たちはもはやアップルという会社をIT企業と捉えるよりも、ファッションの会社だと考えた方がいいのかもしれません。なぜなら、アップルが提供している最も大きな価値は「アップル製品を使っている私」という自己実現欲求の充足であり、さらには「アップルを使っているあの人は、そのような人だ」という記号だからです。 このような社会において、論理と理性に軸足をおいたサイエンス主導経営は、競争力をやがて喪失していくことになるでしょう。求められるのは、「何がクールなのか?」ということを外側に探していくような知的態度ではなく、むしろ「これがクールなのだ」ということを提案していくような創造的態度での経営ということになります。」(103〜104ページ)
■「ところが昨今、いろんなところで起こっているのが、システムの急激な変化に対して、法の整備が追いつかないという状況です。このような世界において、法律で明文化されているかどうかだけを判断の基準として用いる実定法主義的な考え方は危険です。 なぜ危険かというと、ただ単に「違法ではない」という理由で、倫理を大きく踏み外してしまった場合、後出しジャンケンで違法とされてしまう可能性があるからです。」(132ページ)
■「目標達成後により高い目標を掲げれば、いずれは限界が来ることになります。そのときに「ここが限界だ」と認めることができない人、つまり「強い達成動機を持つ人」は、そこでなんとか目標を達成しようとして、法的・倫理的にギリギリなラインまで近接してしまう。この「粘り」が、彼らエリートを、エリートの立場に押し上げる原動力になったわけですが、その原動力が、やがて身の破滅を招く要因になってしまうわけです。」(141ページ)
■「変化の激しい状況でも継続的に成果を出し続けるリーダーが共通して示すパーソナリティとして、この「セルフアウェアネス=自己認識」の能力が非常に高いということを発見しました。 セルフアウェアネスとはつまり、自分の状況認識、自分の強みや弱み、自分の価値観や志向性など、自分の内側にあるものに気づく力のことです。」(161ページ)
■「「美のガバナンス」という観点については、日本企業によく見られる合議を前提にしたコンセンサス重視の意思決定プロセスではなく、大きくデザイン部門をリードする前田氏という個人に依存した仕組みになっているという点も特徴的でしょう。 ここでポイントになるのが、このようなガバナンスの仕組みは、前田氏のような突出した美意識を持つ個人だけでなく、その周囲の人にもまた高い美意識を要求する、という点です。なぜならば、そもそも前田氏のような個人に全権を委譲するという意思決定は、前田氏の美意識の高さを判断できるだけの美意識を持った人でないと、できないからです。要するにこれは「美意識の目利き」ということです。」(208ページ)
■「大人はどうしても読んでしまう。読んでしまうというのはパターン認識するということです。パターン認識しているからこそ、個々人で異なる手書き文字であっても「同じ字」として読むことができる。この高度なパターン認識能力が、本当の意味で「見る」という能力をものすごくスポイルしているわけです。(227ページ)
■「アーレントは、(中略)悪とは「システムを無批判に受け入れることだ」と指摘しました。一方で、過去の哲学の歴史は全て「システムへの疑い」を起点にしている。これはつまり、哲学を学ぶことで、「無批判にシステムを受け入れる」という「悪」に、人生を絡め取られることを防げるということです。(中略)ここにエリートのジレンマがあります。 というのも、エリートというのは、自分が所属しているシステムに最適化することで多くの便益を受け取っているわけですから、システムを改変することのインセンティブがないわけです。」(237ページ)
■「システムの内部にいて、これに最適化しながらも、システムそのものへの懐疑は失わない。そして、システムの有り様に対して発言力や影響力を発揮できるだけの権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、理想的な社会の実現に向けて、システムの改変を試みる。 これが現在のエリートに求められている戦略であり、この戦略を実行するためには、「システムを懐疑的に批判するスキル」としての哲学が欠かせない、ということです。」(238ページ)
4.購入前の自分に薦めたい度
★★★★★(5段階中5)